チョコレートブラウン

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若者のおしゃれな着物の着方について。女性着物を男が着るのはいいのか

着物の着方には、様々な作法がある。

何々流などと分かれてはいるものの、殆どの基礎の部分は同じである。

 

さて、今日書こうとしていることは、先日、私が旅館に泊まった時のことである。

 

 

女性着物を男性が着ることについて。着物の着方について。

私は、着物と言うものを、二着持っている。一つは「大島紬」まがいの、安物である。きめは細かくできているものの、古着屋で買ったものであるから偽物であろう。古着屋の亭主は、「大島紬」と高らかに連呼していたが、高級なものには偽物が出回ってしまうことは、仕方のないことである。

 

もう一着は、苔むしたような深緑のものである。私はこちらを気に入っている。たまに、ワイシャツの上に、こちらと一緒に買ったウールの翡翠色の羽織をかぶせて出かけることも有る。

この緑の着物は女物である。そして、古着である。

学生身分、普通の着物を買うほどの余裕もなく、いつも古着にお世話になっているものの、古着では、私の丈に合う着物にはお目にかかれないことも事実である。

そういった時に、私は女性ものの着物を着る。もちろん胸のあたりに余裕があるものが多いために、その部分は自分で縫ったことも有れば、安全ピンでとめ、帯にしまうことも有る。

 

旅館での忘年会での、仲居さんとの会話

部活での忘年会が、旅館であった。私の部活は、可成り大人数であるから、社会人のように、旅館の一室を借りて忘年会を行う。

私は、毎年のごとく、きらめく湯に光る桶をみて、三島の「仮面の告白」を思い出す。そして私の少年時代を思い描くが、残っているものは殆どないことに、多少の罪悪感すら覚えて、風呂を上がった。

旅館によくあるタイプの、男女兼用の、安く、フリーサイズとでもいうのだろうか。着物の概念から大きくかけ離れた、浴衣といっていいのかも分からないような、クズを身に着ける。

しかし私は、帯を結びたくはなかった。腰ひものような安っぽいものを身に着けていることが、恥ずかしかったからである。

浴衣まがいのそれを、寝巻の上にガウンのように羽織って宴会場に行った。する仲居さんから一言、

「帯ぐらい締めなさいよ。あなた。」

私はこの時ぺこぺこ、辟易しながら「すみません」と言って、しかしながら内心は煮えくり返っていた。私はその仲居の、制服の安い着物の、くりこしのひどく空いてギャルのようになっているのを後目に、席に座った。

 

着物の着方。ヨーロッパでの流行りについて

着物の着方は、日々進化していると考える。ヨーロッパでは、着物をコートのように羽織ることが近年の流行りのようであるが、私は、全世界の人間が、この仲居のような人のために、着物を着る機会も、知る機会も失っていると考える。そして、それが悲しいのである。

私は、太宰治の小説をすべて読むほどに好きであるが、そこから、着物を知り、着物を着るようになった。そして、着物は、知れば知るほど面白いのである。

しかしながら大半の若者、そしてきもの初心者は思うことだろう。

「着物なんか美容師に着付けてもらえれば。」

「なんか怖いし知らないからいいや。」

着物を着ることは、さほど難しいことではないのである。ある程度の作法や、守らねばならぬルールはあるものの、其れさえ守れば、誰が着てもスーツのようにびしっと決まるものである。

私は、敢えて普通の服の上にコートのように着たりはするものの、それは、可笑しいことだと知っていてやっているのである。ここを知らないと知っているとでは大違いであるが、いわゆるステレオタイプの古い人には、こういった着方を許容するような精神が無いことが、甚だ小さいというか、残念である。

 

まとめ

私は、もっと多くの人に着物を着てもらいたいし、知ってもらいたい。そして、私は雪駄よりも下駄派ではあるが、そういった履物類も知ってもらいたいし、みんなに履いてもらいたいのである。

出る杭は打たれる。

 

そのスタイルはすでに、古いのではないか。