【哲学の歴史】プラトンの『イデア』を絵で分かりやすく解説、説明 哲学史
前回は、ソクラテスの「無知の知」そして彼の死について書いた。
今回は、そんなソクラテスの弟子、プラトンに因る「イデア論」を説明したい。
一言でまとめると、「イデア=理想像もしくは設計図」だ。
「自殺した師匠の意を継いだ」プラトン(紀元前400年ごろ)
プラトンとソクラテスの出会い
プラトンは、政治家の貴族の出であったために、親の期待もあり、「自分も政治家になろう」と、英才教育を受けていた。
そんな中、町中の人に「~って何ですか?」と聞きまくるおじさんがいることを知る。プラトンは、その変なおじさんについていき、彼が町中にいる人に声を掛けるのを見ていた。そのおじさんこそがソクラテスである。
彼は、市民と、
ソ「善って何ですか?」
市「このまえハンカチを拾って下さったあのおじさまは真摯で優しい人ですわよ」
ソ「ハンカチを拾えば善なのですか?小汚いおっさんがそれを拾って持ち帰っても、それは善なのですね。拾っていますから。」
市「そういうわけではなくて…」
と言う問答をしていた。
プラトンは、このおじさんはひねくれた人だなあぐらいにしか思わなかったが、家に帰り、寝る前にそのことを思い出すと、「自分も善と言うものがなにか、答えられない」ことに気づく。
そうして彼はその、ソクラテスの弟子になるのであった。
恩師ソクラテスが、自死を選んだ
ソクラテスは毎日毎日、飽きずにいろんな人に質問を投げかけ、そして上げ足を取っていく。そんなある日、悲劇が起こる。時にそれは、民主政治が衆愚政治に変わりかけの頃で、ただ聞き心地のいい言葉を並べて、中身は何もない扇動政治家が増えていたころだった。
ソクラテスは処刑されてしまうのである。彼が赤っ恥をかかせた政治家たちが集まって、ソクラテスに冤罪をなすりつけ、死刑宣告をするに至ってしまった。
このときソクラテスは軟禁状態で、容易に逃げられはしたものの、弟子たちに命じて作らせた毒を、自分で飲んで自殺した。ソクラテスは自分の命を懸けて、本当の智を知ることの大切さを、冤罪の、そして政治のひどさを民衆に知らしめた。
そしてこの時、プラトンの理想「国家」への執念が始まる。
プラトンの国家、イデアとは何か?
プラトンは著書「国家」のなかで、イデア論を展開する。それは、ソクラテスが問い続けた、「~とはなにか?」と言う問いの、答えであった。
ソクラテスは、例えば、「善とは何か?」や、「美とは何か?」の答えを、「ハンカチ拾ってくれたあの人って、善だよねえ」なんて言う例示によるものではなく、「善の本質は?善のエッセンスは?」ということを知りたがっていた。
しかしながら、この善のエッセンスを見つけるのは途方もなく難しい。一人にとって、或る人を殺すことが善だとしても、他方の人にとってはそれが悪であることも有りうる。
もし現代にヒトラーが生きていたとして、ぼくはヒトラーの裁判を有罪にするだろうけれど、ヒトラーの熱心な信者たちにとってはそうはならない。
こんな風に、人によって善と言うものは大きく違う。しかしながら、それぞれの善の根底を流れる基礎的な何かは、みんな同じなんじゃないかな。そう思ったりもする。
なぜなら、人によって善は違うにもかかわらず、みんながみんな、善がどういうものかだいたい分かっているからだ。
だから、プラトンは、この大体みんなが分かっている善の本性を「イデア」としたわけだ。
イデアとは何だろう?三角形の例で分かりやすく解説
ここに、石と、おむすびまんと、三角定規の図があるが、これらはすべて、三角形っぽいといえるだろう。
でも、石とか、おむすびまんに至っては、三角形と言われるまでは、それが三角形だと分からなかった。しかしながら、言われてみれば、そう見えなくもない気がする。
何が言いたいかと言うと、上図のそれぞれは三角形からほど遠い形をしていたとしても、三角形と言われてみればそれっぽいと思うのである。
それは、みんなが、三角形のイデアを持っているからだ。
三角形のイデアとは、理想の三角形像であり、神のみぞ知るはずの完璧な三角形の設計図ということができる。
厳密な三角形は存在しない。
ぼくたちは、どんなに歪んだ三角形を見ても、「大体それは三角形ですねえ」と言うことができるが、それは、ぼくらの頭の中に、三角形の理想像がインプットされているからだ。
しかしながらその厳密な三角形は、頭の中にしかない。
幾何学の定義では、「厳密な線は、幅を持たない」からぼくらが学校で見てきた三角形は、本当は偽物の三角形と言うことになる。
でもぼくたちは、三角形がどのようなものか想像できる。
それは、三角形の理想像、イデアが頭の中にあるからだ。
イデアとは例えばどのようなものか。
実は、その辺を飛んでいるちょうちょにも、芋虫にも、人間にも、服にも。
この世のありとあらゆるものに、イデアはあるんだ。
ちょうちょの理想形や、芋虫の理想形、人間の理想形(すごく徳のある人かな?ダヴィデ像みたいなマッチョかな)とか、服にも理想形がある。
そしてそれは、国家の形にもイデアがあることを示している。
ソクラテスの死をもって、国家のイデアを目指すプラトン。アカデメイアを作る。
プラトンが、著作「国家」の中で言いたかったことは、
「国が腐敗したから、大事な先生であるソクラテスは殺されちゃったんだ。国の指導者って、もっと物事が良く考えられて、国の理想像(国家のイデア)が分かっているひと、つまり究極の哲人じゃないとだめだよ!じゃないと惨劇は繰り返されるよ!」
と言うことだ。そこで、プラトンは、国家を運営できるほどの究極の哲人を生み出すために、大学の原型である「アカデメイア」という学校を作った。
そこでは、後の万学の祖と言われる、アリストテレスなんかも生まれてくる…
まとめ
イデアは、神の設計図と言われることがある。
神は、人間の本来のあるべき姿に向けて人間を作ったし、それはちょうちょにも、服にも言えることだ。
だから、設計図、理想形がイデアと言えば、可成りわかりやすいのではないかな。
失礼する。