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【哲学の歴史】ソクラテスの「無知の知(不知の知覚)」をわかりやすく解説、説明 哲学史

ソクラテスは、今でも哲学において引き合いに出されることの多い元祖「智の巨人」である。

哲学は、彼が捕まり、自ら毒を呑んだことで、少しずつ深淵に傾き始めた。

 

 「本当の智を求めて自死を選んだ」ソクラテス(紀元前420年ごろ)

前回(プロタゴラス)でもいった通り、古代ギリシャでは、ただ弁論の上手い人たちが壇上に上がって民衆を扇動する、衆愚政治ヒトラーなどに代表されるポピュリズム)が始まってしまった。人々は、政治に関心が持てなくなり、持っていたとしても、それは深い考えから起こるものではなく、てきとーに耳触りのいい言葉を言う人を応援していた。

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ソクラテス

そんな時に現れたのが、ソクラテスである。(ソクラテスは、一説によれば恐ろしいぶさいくだったらしい。彼の像は残ってはいるけれど、それは後世誰かがソクラテスのイメージで作ったものだ。上の絵はそれを参考にした)

 

ギリシャ一番の神殿、デルフォイ神殿でのお告げ

ソクラテスはあるとき、神殿にお参りに行った。すると、神からのお告げが聞こえた。

ソクラテス、君がギリシャで一番の賢者だ」

ソクラテスははじめ、驚いてしまった。彼は、当時の政治家たちが「正義」やら「善」について語っていたのを見て、「自分には分からないなあ」と思っていたからである。そして、彼は思った。

「ぼくより賢い人はいっぱいいる。その人たちにお話を聞いて、ぼくは一番の賢者になろう」と。

これが悲劇の始まりだった。

 

ソクラテスは、名高い詩人や芸術家に「美って何ですか?」と聞いてみた。すると彼らは、「この詩を聞き給え。この響きが美しいだろう?」とか、「この絵、これだよ。これの描写は美そのものだね」などと答えた。

そして彼は、ある将軍に、「勇気って何ですか?」と聞いた。すると彼は、「私は3番隊のシクリトスが、大群の敵に向かって突き進んだ。これを勇気としよう」なんて答えた。

ソクラテスは思った。

聞きたいのはそういうことじゃあないんだよなあ。

 

「…とは何か?」と、「~な人(ものごと)って、…だよねえ」

よくよく考えてみると、詩人や芸術家、将軍が言っていたことは、「響き方が美しい」や、「描き方が美しい」、そして「こういう人が勇気ある人だ」と言う例に過ぎない

ソクラテスが本当に知りたかったことは、「~って美だよねえ」 とか、「~って勇気あるよねえ」みたいな「~なものって…だよねえ」とか、「~なとき…を感じる」という単なる例じゃなく、「…って何?」ってことだったのだ。

例えば、中学生の女子が、「恋って何だろうね?」って友達に相談した時に、「〇くんが好きなんでしょ?それは恋してるってことだよ」と答えたとする。すると、中学生の女子はこういう。「そんなことは分かってるの!でも、恋って何か知りたいの!」

 

ソクラテスはこの時の、中学生女子と同じ方法で考えている。

 

 だからソクラテスは、もう一歩踏み込んで聞いてみた。詩人が「この詩の響きが美しいよねえ」っていうと、

ソ「響きって何ですか?」

詩「音の広がりの事だよ。」

ソ「音って何ですか?広がりって何ですか?」

詩「……帰れ!!」

 

 こんな風に、ソクラテスは、名高き詩人であっても、「美とはなにか」について答えられないことが分かってしまった。そして、みんなにちやほやされている人々って、実はなんもわかってないんだなあと思ってしまった。さらに将軍にも聞きに行った。

ソ「勇気って何ですか?」

将「また君か。私は3番隊のシクリトスが、大群の敵に向かって突き進んだことを勇気とすると言っただろう」

ソ「突き進むって勇気なんですか?」

将「相手の戦力差を物ともせず、身を捨てて果敢に立ち向かったんだからな。そりゃそうだ。」

ソ「身を捨てたら勇気なんですか?」

将「……」

ソ「将軍は、勇気についてちっともわかってないのに、みんなにちやほやされてるんですね

将「もういい!帰れ!!」

 

みんな知ったかぶりしていることが判明。

 名高い将軍ですら、勇気について答えられなかった。ソクラテスは、「実はみんな、何も知らないのに知っているつもりでいるんじゃないか?」と思い始めた。この、知ったかぶりしている状態を倨傲(きょごう)と言う。

そしてずっと質問し続けるこの小学生の休み時間のような論法を、「ソクラテス式問答法」という。答えられないのはそれもそのはずである。この時、ソクラテスは攻め側であり、詩人は受け側である。ソクラテスは、ずっと質問をしているだけでよく、受け側である詩人は、問答をずっと続けると疲れてくる。そこでぼろが出るのを待ち、ぼろが出たら上げ足をとればよい。

ソクラテスはこの方式で古代ギリシャの政治家たちにも「善とは何か?」、「正義とは何か?」と問い続けた。そして、彼はプラトンにはじまる若者たちを引き連れていくようになる。当時のやり方では、政治家たちはステージの上で対談する形式が主だったから、ソクラテスは多くの政治家たちに民衆の前で赤っ恥をかかせた。

 余談ではあるが、ソクラテスは相当なひねくれものであったらしい。しかしながら妻であるクサンティッペには頭が上がらず、「結婚するんだ。いい妻を得たら幸せになれる。悪い妻を得たら哲学者になれる」と言う名言を残した。

 

ソクラテスの「無知の知(不知の知覚)」の深い、本当の意味

ソクラテスは思った。「ぼくは、ある意味ではギリシャ一番の賢者なのかもしれないな。ぼくははじめ、自分が知っていることを認めずに人に聞きに行った。つまり、彼ら名高い詩人たちと違って、ぼくは何も知らないことを知っていた!」これを「無知の知(または不知の知覚)」という。これは、一見皮肉な態度のようにも思える。「おれはなんも知らないってことを知ってる!これは知ったかぶりする人より偉いよ!」みたいな感じだ。

しかしながらソクラテスが「無知の知」において民衆に知らしめたかったのはこういうことではなく、「ひとは皆、いつの間にか知ったかぶりをする。だから智に対してもっと謙虚に生きていこう。そして、生涯ずっと、学び続けよう!そしてみんなで考えよう!」という知識の大切さを訴えたものだった。

 

ソクラテスは、「若者を堕落させた罪」で死刑となる

ソクラテスはそうこうして若者たちの人気を集めていった。そしてある日、バッタバッタとなぎ倒していった政治家たちからの反逆が始まる。

政治家たちはみんなでグループを作って、「ソクラテスは若者を堕落させた罪を持っている!」と叫びはじめ、そしてソクラテスは逮捕されてしまう。さらに死刑に処せられてしまったのだ!

このとき、ソクラテスには政治家たちの陰湿なやり方で、敢えて逃げることはできるように、軟禁のような状態にさせられて、死刑執行の時を待っていた。しかしながらソクラテスは、死刑から逃げることはせず、政治家たちの悪行を民衆に知らしめて、「真理探究への高ぶり」を促すために、若者たちに毒杯を用意させて自ら飲んだ。

このソクラテス自死を選んだ瞬間に、世界は哲学へと、少しずつ傾き始めた。

 

まとめ

今回は、ソクラテスについて書いてみた。

 

ソクラテスは本を出していないから、実はこれらの思想は、プラトンやらソクラテスの弟子たちが、対話形式でまとめたものに由来する。次回はプラトンについて書いてみたいと思う。

 

 失礼。。